*****  2007June2condSat *****   北京の自然と北京市内の風格ある町を楽しむ一日!北京の旅!4日目! 
Saturday, June 02, 2007, 22:07 - イベント
遂に4日目の中国ペキン!!
市民の憩いの場でもあり、観光地として解放されている場所を巡りました。
北京の町の自然に触れ、山水画の様な風景にゆっくりと時間を過ごす事ができました。

『前海』『后海』の湖畔に広がる伝統住宅の四合院を巡り、老北京の生活を垣間見る輪タクのツアー。
かつての御苑『北海公園』で歴史上貴重な文物や壮麗な建築群を見学しました。

そして、午後には世界遺産の西太后の離宮『頤和園』で辺りを散策して遊覧ボートに乗船しました。
(6月16日(土)の記事*****  2007June2condSat  *****   
まだまだあるよ!北京旅行4日目を振り返り!西太后の離宮『頤和園』を見てください!)



↑↑↑↑↑写真 『北海公園』内で見つけた可憐な花や実を付ける植物!




↑↑↑↑↑写真 『北海公園』内の売店です!子供達の遊ぶ風車やおもちゃが売っています!
お菓子もいろいろ、これが中国の一般的なつまみやスナック菓子の数々です。



↑↑↑↑↑写真 「大道芸」ならぬ、ストリートパフォーマンス。
湖畔の地面に大きな毛筆と水を使いすらすら文字を書き観光客を喜ばせる老人。



↑↑↑↑↑写真 『北海公園』のシンボル 白塔

『胡同』が残る『前海』『后海』の周辺は、北京の中心にある2つの湖を囲むエリアです。
北京の若者達に一番人気のある、今一番ホット!と噂の場所です。

北京人の間では、横道や路地を『胡同』と呼びます、その名はモンゴル名に由来するそうです。
その昔、およそ 3000あった『胡同』は、住宅の共有空間として機能していました。
その大部分は再開発でその姿を消していますが、唯一残るのが『地安門』・『前海』『后海』付近です。

『前海』と『后海』の周辺は伝統的四合院建築の民家が建ち並びます。



私達は、その辺り一帯の『胡同』を、「輪タク」で20分ほどかけて巡りました。
文字通り路地や小道が複雑に入り組んでいます。
そこでは、人々の暮らしぶりをかいま見ることができます。
「輪タク」の運転手のおじさんの話しに耳を傾けます。
湖畔の空気は爽快でいつまでも乗っていたい気分でした。

『胡同』は、乾燥した北京の中で水辺に緑の美しい風景が広がるため昔も今も高級住宅街です。
本来は、京杭運河の終点にある船の停留池でした。
清代の頃には、親王府や高級官僚の邸宅が集まっていました。

2002年頃から数件の民家が改修されて、バーや飲食店となりました。
京都・大阪の昔ながらの町屋を改修してショップハウスや飲食店、住まいとして
改めてその住まいに光を吹き込むのと同じですね。

この伝統的家屋の内部を現代風のインテリア雑貨などを使いおしゃれに改装した飲食街には、
アーティストや映画スターなどセレブレティーも訪れるようになり、若者の町と変わりました。

 

私達が「輪タク」でこの『胡同』のエリアを回っている間にも改修工事中の家屋が多数見られました。
伝統家屋だけあって、職人達の手作業で工事が進められていました。

ちなみに、この味わいのある四合院建築の民家、今買おうと思うといくらぐらいするんでしょう???

                             8億円!!です!!驚

位の高い官僚達が住んでいたため、一軒、一軒は大きく、
4家族で1軒に住むくらいでちょうどいいそうです。
現在、来年の北京オリンピックにむけ町は整備され、自然と土地や住宅の値段も上昇しています。
それでも、
この古き良き町並みの残る四合院造りの家屋に諸外国の富裕層が移りすんできているそうです。

四合院の住宅に住めなくとも、このいったいに点在するおしゃれなカフェやバーのオープンテラスで
湖に浮かぶボートや遊覧船を見ながらグラスを傾けるだけでも満足できるでしょう!!

 

かつての、御苑『北海公園』へも出かけました。中国古代神話の仙境をイメージして造られました。
その歴史はなんと1000年と言われ、遼代にさかのぼります。故宮の西北に位置します。
湖畔地区と、島、など歴史上貴重な文物や壮麗な建築の群となっています。
面積は68ヘクタール、その半分が池です。
現在は、市民の憩いの場として、ボートや公園の散策など行楽地となっています。

↓↓↓↓↓写真 『静心斉』『北海公園』内で最も美しいとされる4700平方mの庭園。
「園中の園」と呼ばれています。
西太后は、人力のミニ列車に乗り昼食をこの『静心斉』で取ったと伝えられています。

 
 

1757(清代乾隆22)年に皇帝の遊楽読書のために造園されました。別の名は、「乾隆花園」。
また、
1900年の義和団事件の時、8カ国連合軍に参加した日本軍はここを略奪して司令部を設けました。

そして、ラストエンペラーの薄儀は、
中華人民共和国の戦犯とされ釈放後、ここで半生の回顧録を記しました。




↑↑↑↑↑写真 『天王殿』『静心斉』の西の明代の建築の寺院。
朱と緑、藍、黄色などの原色の氾濫した北京城内では大変珍しい寺院。
楠を資材に使い一切朱を塗っていません。

 


↑↑↑↑↑写真 『九龍壁』と呼ばれる、龍が描かれたレリーフです。
瑠璃磚製の壁で、瑠璃磚(5色)を使って9匹の龍が描かれています。

故宮内の皇極門の南の対面、北海公園、山西省大同の『九龍壁』をあわせて
『中国3大九龍壁』と呼ばれています。

「九」は最大の陽数、「五」は中央の陽数であることから、「九、五」は皇帝の尊さを代表します。
『九龍壁』の壁面は、270個の瑠璃片でできています。この数も「九」と「五」の倍数です。

北京の町の歴史的観光名所では1つ1つに当時の国の政情や皇帝と深い結びつきがあり
背景を知るとますますその建築物の重みを感じます。

まだまだ、4日目の北京観光では、多くの歴史的背景を持つ名所を巡りました。
                         詳しくは、後日ご紹介します!お楽しみに!!



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