Monday, March 05, 2007, 00:06 - プチニュース
15日間の最後の「旧正月の祝いの日」。あらためて親戚に挨拶に回ります。
私のシンガポール人の友人もおしゃれをしてご夫婦のそれぞれの実家へ行くと言っていました。

ところで、最近偶然にもシンガポールに育った20代の女性に2人も会いました。
つまりは、シンガポールの町の進化を知っているということですね。
そのうちの一人、女子大生と共に旧正月の最後の一日を過ごしました。
ロバートソンキー・クラークキー・ボートキー・ベイエリアを散歩しました。
現在は日本の外国語大学で「国別で異民族の文化の広がりが異なることについて」
比較する学科を専攻していると話していました。
興味を持つ分野がシンガポール育ちらしいですね。
彼女はこちらの日本人学校を卒業しています。
シンガポールの記憶はおよそ10年前にさかのぼるそうです。
例えば、道の行き止まりだったところに、
おしゃれなロバートソンキーができていて驚いていました。
そして、クラークキーは当時も飲食店が軒を連ね家族と週末に食事に来たそうです。
カラフルな椅子がテラスの様に並べているだけで、
現在のような美しい近代的なデザインの建物は無かったそうです。
また、ボートキーに並ぶ2階建てのショップハウスは、
以前と同様の建物を残すものの個々の店が全く変わってしまっていて
記憶と一致する風景は無かったとのことでした。
彼女は、昔のシンガポールの良さも知っています。
そして、この秋から再び、こちらの大学で勉学に励むそうです。
シンガポールの町はここ十数年で激動に変化していますが、
「変わっていいものは変え、変わってはいけないものは残す町」だと、
シンガポール人の友人から教わりました。
衣食住、祭りなどの文化・習慣・宗教・信念などを次世代に受け継いでいくことで
ここに住む「人々の生活の香り」は変わらないのかもしれませんね。
チャイナタウンの2007年の旧正月の最後の夜は、
「祝いムード」は昔と変わらず静かに祭りの終わりを告げているようでした。




| このエントリーのURL |





戻る 進む