Saturday, August 11, 2007, 14:31 - エンターテイメント(MUSIC/MOVIE/BOOKS)
ナショナルデーの今日、町中に祝う人々であふれています。
シンガポール川沿いにある、アートハウス(The Arts House)にて
シンガポールのフィルムメーカーTAN PIN PINさんの映画を鑑賞しました!
シンガポールには歴史的建造物が残されています。
このアートハウスはそのうちの1つ、最も古いシンガポール庁舎になる旧国会議事堂の建物です。

TAN PIN PIN さんのフィルムは、ドキュメンタリー。
シンガポールの実情を描いた作品が国内・外で高い評価を受けています。
今回の作品は、「INVISIBLE CITY」、日本語で「見えざる町」。
その名の通り、知られざるシンガポールの町を映した作品です。
シンガポールの1940年代以降の発展や、戦争、町、華僑の人々の暮らしなどを知る事ができます。
その語り部となる、人々の声、映像、写真・・・見えざるシンガポールを綴ります。

ここで、紹介したいのが、この映画に登場する日本人ジャーナリストの女性の記事。
↑↑↑↑↑写真は実際の新聞記事です。この記事は『熱血』というタイトルの抗日の歌について。
この記事によりますと、この「熱血」は、もとは戦前の中国の映画「深夜の歌声」の劇中歌。
戦時中に、日本軍と戦うマラヤ軍兵士に歌われていた代表的な抗日の歌です。
イギリスの植民地だったマラヤ、現在のマレーシア。
1941年に日本軍がマレーシア半島に侵攻。
この記事には、現在シンガポールで暮らす老夫婦について書かれています。
この歌「熱血」は、二人にとって自信の戦時中の記憶をたどるのに、大きな意味を持つのだとか。

この老夫婦の妻は、当時、
マレー半島の中部の町、パハンの女性団体の副議長として、若い兵士達に歌を教えていました。
一方、夫は、中国・海南島から難民として中国本土へ、その後マレー半島パハンへ移り住みました。
パハンで13歳の時から「人民学校」で軍事教育や政治教育を受け、
部隊の政治宣伝担当として中国共産党や旧ソ連の歌など、およそ300曲の歌を覚えたそうです。
シンガポール退役軍人協会によりますと、
2006年の時点で抗日戦に参加して健在の退役軍人は15人だったそうです。
こうした当時の歌を歌える人々は数えるほどしかいない。とこの記事は締めくくられています。

外国で暮らす私達にとっては、日本が関わる歴史的な出来事、その背景、など
その国の人々が母国に対してどういう感情を持っているのか、知っておく必要があります。
このドキュメンタリーフィルム「INVISIBLE CITY」では、
年配層のシンガポール人・イギリス人の専門家など当時を知る語り部達が興味深い話しをします。
その語り部達が保存している歴史的な貴重な映像や写真の資料からは、
シンガポールの当時の町を知る事ができます。
この作品は、
その語り部達の人間味あふれる叙情を率直に映しています。シーンによっては時に笑も誘います。
それが、TAN PIN PINさんの作品の魅力ではないでしょうか。
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