****  2008Sep 7thThu   ****   フランス・モンサンミシェル(le Mont-St.Michel)修道院の「驚異」と「微笑みの出会い」のお話!! 
Saturday, September 06, 2008, 18:48 - プチニュース
来週水曜日10日、告示に向けて活発な動きをが続いている自民党の総裁選挙。
続々と出馬のへの意欲を示し、立候補した議員らは20人の推薦人の確保へ努めているとの事。

さぁ!今日は、先月(2008年8月)末にイギリス・フランス・イタリアと周遊の旅の話題。
世界遺産のモンサンミシェル(le Mont-St.Michel)!たくさんの笑顔に出会えた地とも言えます。
フランスの西海岸、サン・マロ湾に浮かぶ小島に築かれた修道院、
厳密に言いますと、その小島からフランスに渡った湾も含めて世界遺産です。
今年1300年の節目を迎えています。1300年間の歴史を秘めているモンサンミシェル修道院。
カトリックの巡礼地のひとつです。1979年にユネスコの世界遺産の登録地となりました。



中世教会建築芸術の傑作、ラ・メルヴェイユ=驚異と名付けられています。
ラ・メラヴェイユと呼ばれる修道院を、付属教会、大修道院長の住まいなどの建物が囲みます。

さて、8月の最終日曜日まで、バケーションに丸2ヶ月間出かけるという人もいる程のフランスの人達。
私たちが訪れた8月の最終週の平日、混雑のピークからは少しづれているというものの、
この日は、多くの人で修道院までの道のりがごったがえしていました。 
   
   「メルシィ〜!!」   「グラッツェ!!」   「Thank you!!」
各国の言葉で、道を譲ってくれてありがとう、という言葉が自然と交わされます。
↑↑↑↑↑ 写真 メイン通りグランド・リュー(Grand Rue)、修道院に続く賑やかな参道、
道幅は、2,3人が横に並んでちょうどいい程の狭い小道。その両脇は小さな商店が並んでいます。



1300年前、大天使ミカエルの命令により、この地に作られた聖堂が始まり。
10〜16世紀の間に絶え間なく増改築を繰り返して、建築芸術の傑作の名を確立させました。
時を経て、現在の様な要塞と呼ばれる大規模な建造物として変貌を遂げています。
数々の礼拝堂、貴賓室、修道院僧たちの生活の場、納骨堂、かつての巡礼者たちの階段、など
各施設が建築された当時の独特の建築方式が採用され、全体として色濃く混ざり合っています。。

百年戦争の期間には、島全体が要塞の役目を果たし、イギリス軍の進攻を防護しました。
18世紀末のフランス革命の時には、国の監獄として使われたという歴史的背景もあります。

世界遺産のモンサンミシェルとしてその湾が含んでいるのにも理由があります。
湾に浮かぶ小島と言いましたが、春から秋にかけては潮が干潮の季節を向かえ陸続きとなります。
サン・マロ湾はヨーロッパで、最も潮の満ち干の差が激しいところとして知られています。
モンサンミシェルは一年のうち、およそ4ヶ月間の間は引き潮の時期で、陸と繋がります。
満ち潮の時には、陸からおよそ18kmの海上に浮かぶ小島となります。

↑↑↑↑↑ 写真 現在は干潮の季節、水深15mの海底に沈んでいた陸道が本土と繋がります。
修道院の展望台からフランスのノルマンディー地方南部の境を見渡せます。
本来、海底の部分が姿を現し、その一部は駐車場観光バスや自家用車用の駐車場になるます。

現地で、干潮から満潮の季節を迎える日のビデオを見ました。
驚く事に、わずか数時間でこの18kmもの干潟が海底15kmに沈みます。
大きな潮が押し寄せる1日の出来事です。満月と新月の28〜36時間後と言われています。
毎年、その神秘に、満潮の季節を迎えると予想されるその日は、
世界各国から人々がこの地を訪れています。



カトリックのシスター達の団体が観光客にまぎれ多数礼拝している姿が見受けられました。
厳粛な教徒達にとって神聖なる場所、宗教的な意味を持たない人々もそれは同じ様です。
見知らぬ人達同士が挨拶を交わし、笑顔を掛け合います。
修道院で順番待ちしていると、フランス人のご家族に話しかけられました。
7歳の男の子、7ヶ月の赤ん坊の二人を連れたご夫婦は「日本が好きだ」と言っていました。
赤ん坊の名前は「HANA」ちゃん、「日本語で花という意味でしょ???」・・・
フランスの東部出身、ジェスチャーで「お茶でもしましょう。」とお誘いまで受けました。

モンサンミシェルは、ヨーロッパの街中とは少し違った空気で人々に出会える気がします。
「西洋の驚異」と称される独特の修道院、詳しくは改めてご紹介しま〜〜〜す!!



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