Friday, July 06, 2007, 23:33 - プチニュース
今日は大学の学期末の試験の1つオーラルテスト(口試)がありました!
テーマは「介紹jiexiao介紹jiexiao一部yibu電影dianying」
= 映画を1作紹介して下さい!
原稿用紙2枚半に亘る作文を丸暗記しました!苦笑。。。
紹介した映画は今年シンガポールでも上映された「Letter From Iwojima」です。
この映画は「硫黄島プロジェクト」のうち『父親たちの星条旗』に続く作品。
硫黄島の戦いを日本側視点の作品です。76歳のクリント・イーストウッド監督がメガホンをとりました。
映画監督、俳優、テーマ曲・挿入歌、衣装、受賞した賞、ストーリーのあらすじ、撮影現場、など。
今週は通学の途中、休み時間、放課後、etc...この原稿に目を通していました。
そんな事もあり、級友からこの映画にまつわる感想や硫黄島の話題を聞いた1週間でした!
(私の映画の感想については 3月8日の記事をご覧下さい!
***** 2007MAR7thWed ***** 硫黄島からの手紙 )

「硫黄じま」から「硫黄とう」へ名前が変わりましたね。
2007年3月の小笠原村議会で正式に「とう」と呼ぶことが決まりました。
「IWOUJIMA(=じま)」と呼び始めたのはアメリカ軍、
硫黄島は長い間アメリカの統治下におかれ、日本へ統治権が返還された機会に「とう」と変わりました。
しかし、その後は「じま」→「とう」と2転3転しました。
国土地理院では、
2007年9月発行の海上保安庁の発行する海図でも呼称を「いおうとう」に切り替えられます。
最近、この映画の影響を大きく受けている硫黄島。
結局、映画の中で「じま」となっているために今だに「いおうじま」と呼ばれることが多いとか。


この映画で「硫黄島」は瞬く間に世界中に知られる事になりました。
それゆえに役場を困惑させている出来事も起こっています。
「硫黄島へ行きたい!」と町役場へ映画ファンからの問い合わせが相次いだそうです。
しかし、一般の人が上陸する事は理由無しには許されていない島です。
それもそのはず、この島は島の全体が防衛施設局の管理下にあります。
常に、海上・航空自衛隊合わせて約四百人の隊員が駐屯しています。
現在、唯一、島への立ち寄りを許可されるのは、
硫黄島旧島民の出身集落への里帰りや戦没者の慰霊祭を行う場合だけです。
「硫黄島」の場所は本州・グアム島・南鳥島・沖縄本島から、
それぞれ1,200km〜1,300km程度の等距離に位置する日本本土の南。
東京都から船便で25時間かかります。
また、「硫黄島」と名の付く島はは日本に2つあります。
もう1つ、は鹿児島県にあります。鹿児島県薩南諸島北部、大隅諸島にある島。薩摩硫黄島。
この薩摩硫黄島には民宿5軒、商店2軒、全国露天風呂ランキングにあがる東温泉があります。
こちらの硫黄島にもこうした映画ファンからの問い合わせがあったとか。
この映画の撮影の大部分は、
カリフォルニア州バーストウ近郊のピスガ・クレーター周辺で行われました。
硫黄島が火山島であることから、噴石丘と溶岩層で出来たこの地域が選ばれています。
実は、この映画の撮影にあたり、史上初の硫黄島ロケが敢行されています!!
東京都の許可により、大規模な撮影が1日かけて行われました。
「栗林中将が防衛計画を立てる為に海岸の調査を行うシーン」
「オープニングのシーン。摺鉢山頂上に建立されている硫黄島の日本軍側慰霊碑が写ります。
その後、島全体を見下ろしていく映像」
などが実際の硫黄島で撮影されたシーンです。とても印象的なシーンですね。

ところで、小笠原村には映画館がないそうです。
当時、この島の人々がこの硫黄島の2部作を見たいと熱望していると話題になりました。
加えて、2006年の映画完成から、戦没者遺族らが映画上映に合わせ九州、島根、広島 など
各地で「硫黄島の写真展」や「展示会」を開催しました。
この島は大戦で本土防衛のため真っ先に戦場となっています。日米の戦死者は合わせて2万7千人。
戦後61年経った今でも、日本軍将兵の遺骨が、未収集のまま残されています。
その数は1100とも言われています。
シンガポールの知人から聞いた話でとても印象的だった話しがあります。
シンガポールは「街が近代化される中、「変える物」と「変えない物」が上手く分別されている」と。
この映画の上映で硫黄島に人々の関心を集めました。
長い月日をかけても忘れてはいけない事、映画紹介の原稿を片手に考えました。
オーラルテスト(口試)の結果???
それは。。。
「伝えたい」という気持ちで挑めました。。。笑
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